サックスの人orセーラー服にベレー帽の人

オッス!オラ虚空!いっちょ手を伸ばしてみっか!

今日は、f:id:sigong4:20170513082543p:imageって話をします。

僕の弟は先天的に硬膜下水腫を持って生まれてきたので、身体に割と重い障害を負っています。知的もまあまああります。斯く言う僕も自閉症スペクトラムの一環に漏れず入っている、いわゆるガイジの一種です。

家族に障害児がいるのは大変です。弟はガイジという割に上手にコミュニケーションが取れて、三語文以上の主張やわがままも行います。土日に外出できない時とか、思い通りにならないことがあるとオタク張りにヴォイヴォイ叫びます。子どもの泣き声に普通の人以上に嫌悪感を示す僕にとっては本当に不快です。こだわりも強くて、最近は「フタ締め型の味海苔の容器はラベルを必ず外せ」とか言ってきます。あと、弟は股関節が弱いので歩けないんです。叫ぶしこだわるし歩かない、キモいニートのオタクそのものやんけ死ねや!!と思っています。

それで日頃から「弟が健康だったら~」みたいなことを考えていて、その例が引っ越しなんですけど。現在我々は、介護福祉に携わる市職員が全員神対応だから・大規模な特別支援学級が複数あるからという理由で町田に住んでいます。なのでぶっちゃけ弟が健常者ならば町田に住む必要は無いです。田都始発の中央林間に引っ越したい…

あとまあ、弟がいなかったらもうちょっと家で集中して勉強できるから塾そんないらねえな、とか。朝ごはんも弟好みの「家族全員お茶漬け」を毎日強いられなくていいな、とか。

カフカの『変身』におけるグレゴールの家族みたいな鬱屈とした気持ちで、毎日弟に対応しています。母親は本能的に無条件で子供を愛することができますが僕は母親じゃないので違います。こういう話を大人に相談しても、大概「慈愛の心を持て」みたいな説教で終わります。無理です。余計な感覚神経に毎日全部触れてくる奴、Twitterにおける作品批判リプライerやイキリオタクと一緒よ?好きになれる訳ないじゃないですか。

そして僕、ただでさえ自分の精神発達にも異常を抱えている上で障害児の介助に“毎日”携わっているのに、一銭も給料をもらっていません。いやまあ家で補助金みたいなのはたくさんもらえるけど、それでも僕が自由に使えるお金なんてものは無い。無償で障害児の側にいさせられて介助をさせられる、善意や家族の絆による搾取と一緒ですこれは。

これは僕の哲学ですが、慈愛というのはある程度自分と距離のある存在に働きやすいもんだと思っています。僕も街角で見かける困り中の車椅子の人とかに対しては優しく対応できたりします。「福祉!共生!」みたいなことを言っているボランティア高校生、マジで意識高いと思うけど、そんなことができるのは彼らの生活と障害者の生活との間に“保証された壁”のようなものがあるからなんじゃないかと疑っています。彼らの85%にとって、福祉って、その心の壁の向こうから手を差し伸べるようなものではと。だからこそ僕は、彼らの行動を賞賛するけど、キモいから近寄りたくないなと思っています。こっちは毎日生活を同じくしてんだよ!殺すぞ!

障害者の介護と支援、宗教的な美徳みたいなものとして強調されがちですがこれはダウトで、実際はもっと生活感のある美徳だと思います。「社会の障害をどう取り除くか」の追求という一面もあるからです。介助の仕事やバリアフリーの参画にお金を発生させることで、社会は障害者に対する不平を抑えてるんだ、ということを幼い時から実感してきました。ママ友の会話を盗み聞きとかしてね。

結論を言います。

・ガイジの兄弟児に返還不要の奨学金をくれる団体はまだですか?

・大学入ったら一人暮らししてやるからな

愚痴は以上です。