夜の2時でも公転したい

セーラー服にベレー帽

青黒い水の底から

まあ18歳の中にも、ギリギリ少年であるものとすっかり青年であるものとが居る。それは22歳だとしても変わらないが、比率がまた偏ってくる。うちのサークルは相当な当たり籤を引いたなと思った。自分の同期から3つ下の後輩まで、見事に少年が揃っていた。

 

この前、ツイッターでばかり顔を合わせている少年のひとりと遊びに出掛けることがあった。

師走のよく晴れた水道橋の昼下がり、街道には落葉が少なく、橋の上に立つと神田川の緩慢に流れる音がした。まとまった会話ができるのが学祭以来で、やはりお互い色々な身の上話をしたが、その中に一つ気になる点があったので、書き留めてしまおうと思う。

水道橋といえば近くに遊園地があるので、遊園地で乗れない遊具は有るか無いか、の話になった。その話の延長に、「何を怖いと思うか」の話題が浮かんできた。

元々怖がりなんですけど、中でも水族館は本当に無理です、と彼は言った。

僕は最初、小笠原鳥類の「腐敗水族館」という詩を思い出して、首を左右に振った。(緑色のゼリー状の液体に包まれて魚や魚でないものが行進するという、文法の破綻した日本語で綴られた非常に前衛的な詩だ) 普段スーパーに綺麗な死体として並んでいる魚が、生きてガラス越しに肉薄する情景に危うさを感じ取っているのかと考えた。あるいは、彼には(たとえばラヴクラフトのように)海棲生物そのものに苦手意識があるのかと思ったが──割とそうでも無いようで、彼は続けて語った。

水族館が怖い。水族館の青く薄暗い水槽が怖い。巨大であるものは余計に恐ろしい。とりわけ水のトンネルとかいうチューブ型の水槽は、潜るだけで卒倒するのではないかという程にいやだ。何故あれが若い男と女のデートスポットになっているのか、全く分からない。昔、家族で沖縄の美ら海水族館に行ったことがあった。大水槽のあまりの大きさに、自分だけが怯えて館を飛び出してしまった。今でもその光景が甦ることはある。そういえば海も少し怖い気がする──

その語りだけを聞くと津波にでも遭ったことがあるのかなと感じるが、彼の地元は中央本線沿い、海無し県も甚だしい場所だった。

僕は幼少期から海と水場が大好きな子だった。彼の考えていることが、全く分からない。高所恐怖症が高い場所から落下するのを幻視して怖がるように、彼はいつか水槽が割れて硝子の破片と海水に圧し潰されてしまうことを予期しているのか──当然それもあるだろうが、それだけでは海にも怯えていることの説明がつかない。それに面会中の様子から、ただ閉所が怖いという訳でも無さそうだった。

例えば、自分との位置関係を問わず、馬鹿でかい液体が側にあるのが怖いという仮説を立てられる。呼吸ができない広大な空間、それ自体が既に圧迫感を生じているのだろう。プールは怖くないと聞いたが、これもおそらくサイズの問題か。


思えば、自分が何をしているかとは無関係に、海はそこにある。そこにあって、心臓が付いている訳でもないのに胎動のようなものを繰り返す。磯の有機的な匂いがする。中は常夜で、どことなく寒い。(ついでに体内で無名の魚と環形動物が這いずり回っている。)そして夜になると、空より暗くなってしまう。これが小動物なら胡乱ながらも憎めない生き物となるが、残念ながら惑星全体にべたりと張り付いている。一体の生き物として考えたとき、海が捉え所の無い伏魔殿へと姿を変える。

その身体の一部を削って大事に保管している水族館とかいう施設も、比較的悍ましい。我々は海を収容するに値する種族なのか。塩がかった水の触手が数十センチの樹脂板を叩くとき、人はその音に耳を塞ぎ続けることができるのか。

これは物語になる、という予感がした。

 

陸も怖いよ透明な手袋に死んだ鰯の稚魚抱き留める

藍色に咳込むこれは波の底都があって終電は無い

知られずに潮流が女の骨を拾い集めて海溝に散る

海を容れた長方形の脅迫に三千円で君とひれ伏す

微笑みの乙姫様に繋がったプラグを抜いてそこで溺れた

アクリルをすり抜ける霊体エイの尻尾に足を掴まれるまで

コンクリートの街に戻って歩いてそして気付くとまた黒い淵