夜の2時でも公転したい

セーラー服にベレー帽

#tanka 1/8

ぽとりとも聞こえないけど落ちてくる明日はあなた朝日の匂い

雪雲を追い越すとそこが夏ですか未完の夢にデレキをかける

永遠の青空を見る子供たち軍艦ハワイハワイ軍艦

三日月が終わってなんかづきになり世界も終わるそんな啓示の

死と再生と死と証明写真機と巨大な青い駅で踊ろう

古美術商が隣に越すそれだけで街が一つの漢詩になった

消えかけた文字をなぞってみたくなるように歴史も韻を踏むから

青黒い水の底から

まあ18歳の中にも、ギリギリ少年であるものとすっかり青年であるものとが居る。それは22歳だとしても変わらないが、比率がまた偏ってくる。うちのサークルは相当な当たり籤を引いたなと思った。自分の同期から3つ下の後輩まで、見事に少年が揃っていた。

 

この前、ツイッターでばかり顔を合わせている少年のひとりと遊びに出掛けることがあった。

師走のよく晴れた水道橋の昼下がり、街道には落葉が少なく、橋の上に立つと神田川の緩慢に流れる音がした。まとまった会話ができるのが学祭以来で、やはりお互い色々な身の上話をしたが、その中に一つ気になる点があったので、書き留めてしまおうと思う。

水道橋といえば近くに遊園地があるので、遊園地で乗れない遊具は有るか無いか、の話になった。その話の延長に、「何を怖いと思うか」の話題が浮かんできた。

元々怖がりなんですけど、中でも水族館は本当に無理です、と彼は言った。

僕は最初、小笠原鳥類の「腐敗水族館」という詩を思い出して、首を左右に振った。(緑色のゼリー状の液体に包まれて魚や魚でないものが行進するという、文法の破綻した日本語で綴られた非常に前衛的な詩だ) 普段スーパーに綺麗な死体として並んでいる魚が、生きてガラス越しに肉薄する情景に危うさを感じ取っているのかと考えた。あるいは、彼には(たとえばラヴクラフトのように)海棲生物そのものに苦手意識があるのかと思ったが──割とそうでも無いようで、彼は続けて語った。

水族館が怖い。水族館の青く薄暗い水槽が怖い。巨大であるものは余計に恐ろしい。とりわけ水のトンネルとかいうチューブ型の水槽は、潜るだけで卒倒するのではないかという程にいやだ。何故あれが若い男と女のデートスポットになっているのか、全く分からない。昔、家族で沖縄の美ら海水族館に行ったことがあった。大水槽のあまりの大きさに、自分だけが怯えて館を飛び出してしまった。今でもその光景が甦ることはある。そういえば海も少し怖い気がする──

その語りだけを聞くと津波にでも遭ったことがあるのかなと感じるが、彼の地元は中央本線沿い、海無し県も甚だしい場所だった。

僕は幼少期から海と水場が大好きな子だった。彼の考えていることが、全く分からない。高所恐怖症が高い場所から落下するのを幻視して怖がるように、彼はいつか水槽が割れて硝子の破片と海水に圧し潰されてしまうことを予期しているのか──当然それもあるだろうが、それだけでは海にも怯えていることの説明がつかない。それに面会中の様子から、ただ閉所が怖いという訳でも無さそうだった。

例えば、自分との位置関係を問わず、馬鹿でかい液体が側にあるのが怖いという仮説を立てられる。呼吸ができない広大な空間、それ自体が既に圧迫感を生じているのだろう。プールは怖くないと聞いたが、これもおそらくサイズの問題か。


思えば、自分が何をしているかとは無関係に、海はそこにある。そこにあって、心臓が付いている訳でもないのに胎動のようなものを繰り返す。磯の有機的な匂いがする。中は常夜で、どことなく寒い。(ついでに体内で無名の魚と環形動物が這いずり回っている。)そして夜になると、空より暗くなってしまう。これが小動物なら胡乱ながらも憎めない生き物となるが、残念ながら惑星全体にべたりと張り付いている。一体の生き物として考えたとき、海が捉え所の無い伏魔殿へと姿を変える。

その身体の一部を削って大事に保管している水族館とかいう施設も、比較的悍ましい。我々は海を収容するに値する種族なのか。塩がかった水の触手が数十センチの樹脂板を叩くとき、人はその音に耳を塞ぎ続けることができるのか。

これは物語になる、という予感がした。

 

陸も怖いよ透明な手袋に死んだ鰯の稚魚抱き留める

藍色に咳込むこれは波の底都があって終電は無い

知られずに潮流が女の骨を拾い集めて海溝に散る

海を容れた長方形の脅迫に三千円で君とひれ伏す

微笑みの乙姫様に繋がったプラグを抜いてそこで溺れた

アクリルをすり抜ける霊体エイの尻尾に足を掴まれるまで

コンクリートの街に戻って歩いてそして気付くとまた黒い淵

#tanka 8/-

浜田山、あなたは花だ、このように世界が全部ア段だったら

・いちどでも手くびに線をかいたペンはほかのごみとわけてすててね

白墨のように/ないし私生活に見えたがそれは犬の尺骨

ほほえんでいれば許されるわけでもないがほほえみながら野を焼く

かぎろいが立つ川崎の夜サザンクロスに近いあなたの役目

とんとんと天井自身それ自身の音がしてるずっとしている

なぜパピコは共有、雪見だいふくは独占したくなるのか

雪見だいふくにはつまようじが1本しか入っていないから

 

 

こんにちは サムカワです

皆さん、コロナはいかが…大丈夫でしたか?自分は最近マジで「いかがでしたか」と「大丈夫でしたか」を瞬時に使い分けることができなくなり、己の知能レベルがsyamu_gameと等価になったことを確信し、大学で留年を決意しながらも和やかに毎日を過ごしています(なぜならモラトリアムは長ければ長いほど幸せになれるので)

それはそれとして、6月頭にそれまで交際していた男Aと破局し、42時間後に男Bと付き合い始めました。あくまで乗り換えであり、同時に違う電車に乗っていたわけではありません。男Aは健常モテ男子だったので、あたかも自分との交際を3回ループしてきたかのような滑らかな付き合いぶりでした。男Bは男子校出身異常独身男性で、わけもわからず自分に懐き、見るもの全てをその場で刷り込み学習する勢いで自分と交際しています。どちらが好みかはさて置き、どちらが自分に似ているかは極めて明らかといってよいでしょう

友愛の章(しるし)に、ちょっと前に男Bとパピコを分割して食べました。その際、男Bが突然パピコ雪見だいふくも“2個入り”という点では全く同じなのに、なぜパピコは半分こしたくなり、雪見だいふくはそうではないのか」という問いを投げかけてきました。当然自分はアイスクリーム専門家でも食品デザインのプロでも何でもないので、咄嗟の考察はできませんでしたが、後日考えることはできたので、この文章をメモとして置いておきます

 

無層と層

あの…パピコ、2つ食べると飽きませんか?

何を主張したいかというと、パピコの中身はずっと同じアイスであるということです。これを一定量以上食べることは「飽き」につながり、執着の逓減とシェアの発生につながると考えます

(逆に、僕はひたすらアイスを食べ続けたい時、一人でパピコを食べます。このとき、僕が味わっているのは優美なチョココーヒーの風味だけでなく、中身が一様なものを2つも食べられるというお得感も含まれるのです。そういえばホワイトソーダ味を好きで食ってる人間って怖くないですか?凍らせたヤクルトみたいな食い物が大好きな人、いたら僕のところまで来てください、理解できないので)

一方、雪見だいふく1.もちもちの求肥 2.アイス の2層構造になっていて、1個食べると1回だけこの構造を体験できます。問題は、一人の人間を充足させるには1.もちもちの求肥の層はあまりに薄すぎるということです。この層のアンバランスさが体験の貴重さにつながっていて、これがシェアを許さない現象の原因になっているのではないでしょうか

 

人為的な分離

前項では「たべる側」の視点から考察しましたが、今度は「つくる側」の視点で論じます

パピコって、単一のアイスをシェアするためにわざわざ2パックに分けているまでありませんか?普通にあれ、1人で食べるのであればクソでかいチューチューアイスの構造でもよくないですか?グリコ様はな、愛し合う恋人たちのために、わざわざ包装に金をかけて、1本でもいいパピコを2本にしてくださっているんだ、だから感謝してシェアするんだぞ

では雪見だいふくはどうでしょう。2つのだいふくを1つに集約したとき、それはもう「大福」と呼ぶにはあまりにもデカすぎませんか?つまりクソデカ福です。大福としての適切な大きさを追求すると1個のアイスとして売るには小さくなってしまうことから、2個入りで販売していると考えるのが妥当ではないでしょうか

このようにパピコ雪見だいふくには、目的があって2個入りにしたアイスと、成り行きで2個入りになったアイスという差があるのです

 

分け合う価値、占める価値

人は2つのものを他者と半分こするかどうかを決めるとき、分け合う価値と占める価値を天秤に掛けます。パピコはその中身の一様性と「分けて食え」という企業のメッセージから、分け合う価値の高い食品として不動の地位を手に入れました。雪見だいふく求肥という食材を効果的に使い、繰り返したくなる味覚体験を消費者に与え、占める価値をこれほどまでに高めてきました。まさに2つの銘菓は、“2つあるアイス”の最右翼と最左翼です。この両極端なる進化が、これからもアイスを愛す者たちのニーズに応え続けるでしょう

 

ところでオタクくん、お前らは独占してもらえる価値のある人間なの?

雪見だいふくの例に従うと、重層的な人間は繰り返し味わいたくなるらしいよ

オタクくんはどうなん?笑 毎日Apexかウマ娘しかやること無さそうじゃーん笑 か弱い一面とか、柔らかい一面とか、全然無いじゃん!!笑笑 そんなんだから彼女できねんだよ!ギャハハ!!!それ以上つまんねー生き方してたら体2等分してマワすよ

#tanka ここまでの自撰首

太字は特薦

 

おれはおれである実感がなかった インドにはインド洋があった (4/4)→実存が危うい時の、非常に大きく安定したものへの信頼

浜(誰かが二度とはかれることのない靴の下駄箱にしてしまった) (4/5)

完全な存在になってしまうよ完全食ばかり食べてたら (4/8)→肉食文化によって人類は温厚さを維持しているという仮説へむけて

いま部屋に、触ると熱い糸くずが落ちているけど、それは歌だよ (4/13)

(食べたことがない食品はいつまでもありつづけるが)小さな世界 (4/21)

すべて仕組まれた闘争だとしても消しカスを教卓に積みなさい (5/1)→「子供の領分」(ドビュッシー)を聴きながら

やがてここを去ってしまう春や首筋をペーパーナイフで撫でる (5/16)→首という言葉から詠み始めたので、首と筋との間に大きく韻律の断絶がある

朝粥はそれ自身円形であり大星雲にもなりうるから (5/20)→我々が無意識に実感している、主食を容れる器が丸いという事実、粥の粒粒、それらが急速に肥大化し宇宙的感動へと変わりゆく姿

逆に何にも許せない人向けの絵ばかり飾られたルーブルだ (6/3)→テーマ「何でも許せる人向け」

優しさだけが世界の全てではない薄氷みたいにうどん踏まないで (大学短歌会にて)

書きかけの下ネタ帳を裏返し忘れたことも忘れる海だ (大学短歌会にて)

標語県は良い標語にあふれていて誰も関西弁を知らない (大学短歌会にて)→温かい嫌悪というものをイメージしながら

おまえはもう処女でないのだペヤングのやぶかれた湯切り口を見せる (大学短歌会にて)→テーマ「死に似ているが、死ではないもの」